第二通 憎悪について

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 他者を憎み続けるというのは、割に合わない愚かな行為です。今回は、その事についてお手紙を書かせていただきます。
 
 まず、他者を憎む様になる経緯について考えますと、その原因について、自らにある場合と他者にある場合の二通りある事がわかります。憎悪の念に囚われるという、その状態自体が回避すべきものである事については後述しますが、その中でも、自らの堕落や無知が災いし、その様な想念に囚われるのは、哀れむべき状態であると云えます。もっとも、仮に他者に原因がある様な場合においても、その様な状態に陥ってはいけないという事を、現在の私は知っています。
 
 それでは、なぜ他者を憎んではいけないのでしょうか。
 人を憎むという事は、究極的には、人を呪うという事なのだと思います。そして、もしも他者を呪うならば、その否定的な影響力は、必ず自らの元に戻って来るのです。「人を呪わば穴二つ」と、古来より云われている通りです。
 
 つまり、人を憎むという行為は、人を呪うという行為ほどには直接的ではないにしても、否定的な影響力と関連性を有しているという点において、後者と性質を同じくしているのです。仮に、否定的な影響力を他者に及ぼしたならば、それは、結局は自らの元に戻って来ます。その様な次第で、他者を憎むというのは愚かな行為である事がわかりますし、実際に、憎んではいけないと云えます。
 
 私にも、嫌いな人の事を考える様な事があります。その様な時、私の表情は険しくなり、肩は強張っているのですが、それは、なぜその様になるのでしょうか。それは、想像上の相手に対して、無意識の内に、心的に身構えているからであると思います。つまり、私は、嫌いな人を一人作った事により、心の深い部分に一つの柵(しがらみ)を作ってしまったのでした。その様な状態を、精神的に束縛されたそれだと言い換える事もできましょう。その様であったのが、ふと我に返ると、ほぼ同時に肩の力も抜けるのでした。
 
 好ましい心的状態とは、束縛のない、自由なそれなのだと思います。あるがままの心でいる事が、よいのです。その為には、人を憎む事も、憎まれるような事も避けるべきであると云えます。その様な状態は、柵を作る原因となるからです。
 
 私は、『シルバー・バーチの霊訓』を読み、あなた様の箴言に接し、明るく朗らかな性格の人物には、その様な傾向のある霊と縁が出来るし、また、その様な霊の影響を受けるという事を知りました。その逆も、また然りです。この様な知識を得ますと、他者を憎み続ける事が、いかに醜悪な事であるかがわかります。それでは、どのようにする事が好ましいのでしょうか。
 
 他者を憎むのではなく、愛する事です。

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このページは、Kenji Takahashiが2008年6月21日 04:51に書いたブログ記事です。

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