第六通 移動手段について

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 今回は、移動手段について書かせていただきます。
 
 この頃、移動手段として自転車を使う様になりました。今迄は、オートバイか地下鉄を利用して来たのですが、実の所、私は、そのいずれを利用したにしても、後ろめたい気持にならない様な事はなかったのでした。
 
 それは、なぜなのでしょうか。
 率直に、それらの移動手段が環境破壊を促進させるからであると云えます。私が所有するオートバイは、平均的な自動車と比して三倍位は燃費がよいのですが、それでも、排気ガスを、そして、二酸化炭素を、大気中に撒き散らしている事に変わりはありません。
 
 地球温暖化という問題が、人類の直面している深刻な問題なのであり、その主因の一つがクルマ社会に存する事が明らかである現在、私はもう、自動車やオートバイを利用してのドライブを、心から楽しむ事ができないのです。
 
 それでは、地下鉄の方はどうなのでしょうか。オートバイを利用した場合においては、確実に、直接的に二酸化炭素が排出されるのに対し、自分一人が地下鉄に乗車したとしても、その運行に直接的な影響を与える事はありません。つまり、自身一人が地下鉄を利用しても二酸化炭素の排出量は増大しないのであり、その様な意味において好ましい様に見えます。
 
 しかし、この事について少し考えてみると、この様な考え方は詭弁である事がわかります。大局的な視野に立つと、需要があるからこそ供給も生ずるのであり、それ故、私は、利用者数を増減させる一要素として、地下鉄の運行計画に影響を及ぼす存在なのです。
 
 ところで、地下鉄は、電気を動力源として稼働しています。それでは、その電力を生み出す発電については、どの様なエネルギーにより賄われているのでしょうか。大体の所、化石燃料を燃焼させる火力発電が五割、原子力発電が二~三割であり、残りが、風力、地熱、太陽光等で占められている、という事を私は知っています。つまり、地下鉄は、大体において自動車よりも環境に優しい移動手段なのですが(それも、乗車率等の要素に左右されます)、それは、環境を破壊させる力が弱いという意味においてそうなのであり、地球温暖化を促進させるか否かという事であれば、促進させる移動手段であると云えます。
 
 私は、久しぶりに自転車に乗りはじめ、自らの脚力が弱くなっている事に気付かされました。長い間、電車やオートバイを利用して来ましたので、鍛えられる機会のなかった私の足は、いつの間にか、細く、そして、弱くなってしまっていたのです。
 
 科学文明の生み出した利器が、私たちに便利さをもたらしたと共に、環境を害し、私たち自身を苦しめ、その心身を弱体化させている現状は皮肉です。自転車を利用すれば、環境を害する事はなく、身体を鍛える事ができます。動力が人力、つまり、自らの力のみなのですから。米国においては、成人病対策としても利用されているのだと云います。
 
 それを利用すれば、そよ風が心地よく感じられる事があるでしょうし、少なくとも、後ろめたい気持にはならないでしょう。

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このページは、Kenji Takahashiが2008年7月16日 07:00に書いたブログ記事です。

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