第十二通 心の静寂について

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 深夜某時。この時間に、音楽をかけずに机に向かっていると、とても静かである事に気付きます。他所の家の住人は、眠っている時刻だからです。
 
 しかし、しがらみのある状態においては、その様な事に気付きもしないのかも知れません。それは、私の場合、仕事に関係する意念であったり、パソコンの様な物への執着という形を取りますが、それらは、静寂な状態とは縁遠いものであるからです。
 しがらみの無い、今の様な心境で、静寂な空気の中で机に向かっている時、私は、自然と、自らの内面と向き合っています。心の状態は平静であるのか、それとも、乱れているのか。その様な事を、推し測っているのです。
 
 心に波風が立つよりは、細波一つ立たない方がよいでしょう。それは、騒がしい場所で生活するよりも、静かなそれの方が好ましい事と同じです。
 
 然るに、文明の発展と反比例する様に、私たちの心的な自由や静寂さが失われて行ったのは、なぜなのでしょうか。古くは時計が、そして、鉄道や自動車が、電話が、この頃は、パソコンやインターネット・携帯電話が、私たちを自然な状態から乖離させて来ました。
 
 つまり、私たちの歴史は、自然と縁遠い存在となり果てて来たそれなのであり、それに相応しい分だけ、心的な自由や静寂さが失われ、また、自己の内面を省みる機会をさえ失われて来たのです。
 
 それ故、この様な事実を知ったならば、自らの生活を改めるべきだという事が云えるでしょう。
 
 私たちは、物に翻弄された様な、心の安まる事のない生活から、己れの内面を見詰め、平静と静寂に包まれたそれへと移行するべきなのです。

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このページは、Kenji Takahashiが2008年8月30日 05:00に書いたブログ記事です。

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