私たちの文明について考えると、それが決して思わしい状態ではないという事がわかります。それでは、なぜその様な状態になったのでしょうか。今回は、その事について書かせていただきます。
それは、人間が神の元から立ち去った、つまり、大霊の存在を忘れ去った為である様に感じます。そして、その事は、自然と乖離した為であると表現する事もできます。
それは、人間が神の元から立ち去った、つまり、大霊の存在を忘れ去った為である様に感じます。そして、その事は、自然と乖離した為であると表現する事もできます。
例えば、インディアンの文明、日本における江戸時代の文明は、それ自体において、持続可能な文明であった様に見えます。それは、前者においては、大霊に通じ、自然との共生が行われていたからであるし、後者においても、それに近い状態であったからです。
それに対して、現代文明というものは、科学万能主義、唯物的価値観、商業主義といったものに毒されています。その為、大霊の息吹が感じられなくなり、誤った道を突き進んで来たのではないでしょうか。そして、永らく、自然からの搾取、そして、その破壊が繰り返され、現状として、自然の状態は、取り返しのつかないほどに痛め付けられています。
◇ ◇
それでは、具体的には、どの様な過程を経て現状に至ったのでしょうか。
それは、一つには、西欧文明が人間社会におけるイニシアティブを取った為である様に見えます。
私は、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を読む事により、西欧文明が抜きん出た理由について、その理解を深める事ができたと感じております。
西欧が発展したのは、中世の頃から小国に分立し、その中で激しい競争が行われて来た、その事に因る部分が大きいのではないでしょうか。つまり、エドワード・ホールの『かくれた次元』から言葉を借りれば、当時の西欧は、いわば"過密状態"であったのであり、その様な状態であった為に、それぞれの国家・国民のストレスが増大し、また、攻撃的になった、という事です。そして、適度のストレス負荷は、それが生物の進化にとってそうであるのと同様に、文明の発展にとって好ましいものだったのだと、私は、その様に考えています。
この様な過程は、西欧文明を他の文明よりも一歩先んじさせ、具体的には、西欧各国に未知の土地を探索するに足る力を与え、事実、その攻撃性の為もあり、探索を始めました。そして、インカ・アステカ文明を崩壊させ、北米インディアンを征服、中国からはアヘン貿易で搾取し、日本においては、黒船を派遣する事により、明治維新の火付け役を果たしたのです。
そして、現在においても、国際社会は、実質的な支配的国家と被支配的国家に二分されており、そのイニシアティブは西欧が握っています。
現状として、前者の様な物的に富んだ国々の住民の多くが堕落し、神と乖離し、後者の様に貧しい国々の住民は神に通じるという現象が生じていますが、仮に、神に通じ、自然と共生した文明が国際社会のイニシアティブを握っていたとしたら、現在の私たちの生活は、そして、自然環境は、如何に異なったものとなっていたでしょうか。歴史に"もしも"はありませんが、その様な思いを抱く事は、間違った事なのでしょうか。
◇ ◇
次に、科学と人間との関わりの中に、よくないものが有ったのではないでしょうか。
西欧発展の過程において、海外からの文化流入の影響もあり、産業革命前後の時期に多くの発明が為され、また、科学が発達しました。その事が、その社会に大きな影響を与え、人々に、便利さや快適さをもたらした事は、疑う余地のない事です。そして、その様な流れは、現在に至るまで続いております。
ところで、私は、多くの発明家・科学者は、インスピレーションを受けるという形で、神と通じていたのだと考えています。その様に考えるのは、それを意識するか否かに関わらず、その様な状態にある事が、新しいものをもたらすからです。しかし、政治家や金もうけ主義者たちはそうではありません。政治家・金もうけ主義者は、彼らとは異なり、俗な存在なのです。
つまり、私は、神に通じた発明家・科学者の生み出した、せっかくの利器や、すばらしい技術が、俗な存在によって台無しにされて来て、現在に至るのではないかと考えているのです。多くの発明が、科学的な新発見が、軍事に利用される事により、金儲けの道具となる事により、その価値を貶められて来たのではないでしょうか。
そして、その害悪は年月の経過と共に増大し、現在では、ご覧の通りの状態となっているのではないでしょうか。
◇ ◇
この様に考えて行くと、人間には、自身の運命について、長期的な視野に立ちコントロールする能力に欠けているのではないだろうかという思いに至ります。すばらしい発明・科学的発見というものが為されて来ましたが、彼らの多くには、それらの用いられ方まで予見する事はできなかったという事です。そして、かつての政治家も、金もうけ主義者たちも、自分たちの一つ一つの判断の積み重ねが、将来、私たちが現在直面している様な問題を招くという事には気付かなかったのではないでしょうか。
そうすると、人間は、神の、つまり、大霊の御許を離れるべきではなかったのだという事がわかります。私たちは、思い上がった考えを抱く事なく、自らの運命を大霊に委ね続けるべきだったのではないでしょうか。なぜならば、人間は能力に限界のある不完全な存在ですが、大霊は全てに通暁した、完全な存在であるからです。人間の運命をコントロールする事のできるのは、人間自身ではなく、大霊であったという事です。
それに対して、現代文明というものは、科学万能主義、唯物的価値観、商業主義といったものに毒されています。その為、大霊の息吹が感じられなくなり、誤った道を突き進んで来たのではないでしょうか。そして、永らく、自然からの搾取、そして、その破壊が繰り返され、現状として、自然の状態は、取り返しのつかないほどに痛め付けられています。
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それでは、具体的には、どの様な過程を経て現状に至ったのでしょうか。
それは、一つには、西欧文明が人間社会におけるイニシアティブを取った為である様に見えます。
私は、ジャレド・ダイアモンドの『銃・病原菌・鉄』を読む事により、西欧文明が抜きん出た理由について、その理解を深める事ができたと感じております。
西欧が発展したのは、中世の頃から小国に分立し、その中で激しい競争が行われて来た、その事に因る部分が大きいのではないでしょうか。つまり、エドワード・ホールの『かくれた次元』から言葉を借りれば、当時の西欧は、いわば"過密状態"であったのであり、その様な状態であった為に、それぞれの国家・国民のストレスが増大し、また、攻撃的になった、という事です。そして、適度のストレス負荷は、それが生物の進化にとってそうであるのと同様に、文明の発展にとって好ましいものだったのだと、私は、その様に考えています。
この様な過程は、西欧文明を他の文明よりも一歩先んじさせ、具体的には、西欧各国に未知の土地を探索するに足る力を与え、事実、その攻撃性の為もあり、探索を始めました。そして、インカ・アステカ文明を崩壊させ、北米インディアンを征服、中国からはアヘン貿易で搾取し、日本においては、黒船を派遣する事により、明治維新の火付け役を果たしたのです。
そして、現在においても、国際社会は、実質的な支配的国家と被支配的国家に二分されており、そのイニシアティブは西欧が握っています。
現状として、前者の様な物的に富んだ国々の住民の多くが堕落し、神と乖離し、後者の様に貧しい国々の住民は神に通じるという現象が生じていますが、仮に、神に通じ、自然と共生した文明が国際社会のイニシアティブを握っていたとしたら、現在の私たちの生活は、そして、自然環境は、如何に異なったものとなっていたでしょうか。歴史に"もしも"はありませんが、その様な思いを抱く事は、間違った事なのでしょうか。
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次に、科学と人間との関わりの中に、よくないものが有ったのではないでしょうか。
西欧発展の過程において、海外からの文化流入の影響もあり、産業革命前後の時期に多くの発明が為され、また、科学が発達しました。その事が、その社会に大きな影響を与え、人々に、便利さや快適さをもたらした事は、疑う余地のない事です。そして、その様な流れは、現在に至るまで続いております。
ところで、私は、多くの発明家・科学者は、インスピレーションを受けるという形で、神と通じていたのだと考えています。その様に考えるのは、それを意識するか否かに関わらず、その様な状態にある事が、新しいものをもたらすからです。しかし、政治家や金もうけ主義者たちはそうではありません。政治家・金もうけ主義者は、彼らとは異なり、俗な存在なのです。
つまり、私は、神に通じた発明家・科学者の生み出した、せっかくの利器や、すばらしい技術が、俗な存在によって台無しにされて来て、現在に至るのではないかと考えているのです。多くの発明が、科学的な新発見が、軍事に利用される事により、金儲けの道具となる事により、その価値を貶められて来たのではないでしょうか。
そして、その害悪は年月の経過と共に増大し、現在では、ご覧の通りの状態となっているのではないでしょうか。
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この様に考えて行くと、人間には、自身の運命について、長期的な視野に立ちコントロールする能力に欠けているのではないだろうかという思いに至ります。すばらしい発明・科学的発見というものが為されて来ましたが、彼らの多くには、それらの用いられ方まで予見する事はできなかったという事です。そして、かつての政治家も、金もうけ主義者たちも、自分たちの一つ一つの判断の積み重ねが、将来、私たちが現在直面している様な問題を招くという事には気付かなかったのではないでしょうか。
そうすると、人間は、神の、つまり、大霊の御許を離れるべきではなかったのだという事がわかります。私たちは、思い上がった考えを抱く事なく、自らの運命を大霊に委ね続けるべきだったのではないでしょうか。なぜならば、人間は能力に限界のある不完全な存在ですが、大霊は全てに通暁した、完全な存在であるからです。人間の運命をコントロールする事のできるのは、人間自身ではなく、大霊であったという事です。
