第十三通 悟りと誘惑について

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 先日、福岡アジア美術館で、『黒の中の白』という題名の絵を観ました。
 
 この絵は、インドネシアのイ・グスティ・ヌンガ・ヌラタという画家の作品で、沢山の魔物が、地表を埋め尽くす様に蠢いているその上を、白い蓮花の、小さな雲に乗った仏陀が通り過ぎており、かの覚者は、大きな雲の上に覗く城、つまり、天上界に向かっている、という構図になっています。魔物たちが、暗く禍々しく表現されているのに対して、仏陀の方は、明るく、神々しく描かれていました。
 私は、この絵を観て、この魔物たちは、死してなお未熟な境涯にいる者たちが、この様な象徴的な姿に描かれているのだと感じました。
 
 つまり、彼らは、姿こそ人間として地上生活を送ったが、その心的部分はそれに値するものでは無かった者たちなのであり、そして、それが改められる事も無く死した為に、同じ様に醜悪な者たちと共に、死後の世界の最も低い階層でとぐろを巻いているという次第である様な印象を受けたのです。
 
 それに対して、仏陀は真理を悟っている為、この様な魔物たち、つまり、煩悩に惑わされる事が少しもありません。それ故、雲に乗っており、明るく、神々しく描かれています。
 
 それでは、この絵から、私たちは何を学ぶ事ができるのでしょうか。
 魔物の様な存在になる事は避けるべきであり、仏陀の様な、高い境地に至った覚者に、少しでも近づく事が望ましい、という事が云えるでしょう。
 
 その為に、具体的に、いかに価値観や考え方を、行動を、そして、生活を改めて行くかについては、自ら考えて行く必要があります。しかし、その事については、書物が、偉大な先人達が、実は、手を差し伸べてくれているのです。大切な事は、その様な導きに気付く事です。
 
 そして、私たちは、自らに自由意思があるという事を、心に銘記しておくべきなのではないでしょうか。
 
 つまり、私たちは、高潔な精神に根ざした行動を取る事も、卑しい心情に根ざした行動を取る事も、自分次第なのです。しかし、実のところ、前者は、洗練された精神を反映したものであると共に、仏陀の様な高い境地に達した存在と感応してのものなのであり、後者は、未熟な精神を反映したものであると共に、魔物の様な、低く禍々しい境涯の住人の影響を受けてのものである、という事は覚えておくべきです。
 
 永遠なる、自らの魂をどちらの境涯へ向かわせるべきなのでしょうか。それは、自明の理であるという事が云えるでしょう。

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このページは、Kenji Takahashiが2008年9月10日 07:00に書いたブログ記事です。

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