第二十七通 苦しみと忍耐について

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 苦しみや悩みというものは、この地上世界においては、どうしても付いて回るものの様です。私たちは、今迄にそれらを体験して来たのですし、これからも、それから逃れる事はできないでしょう。
 
 大事な事は、それから逃れる為に考えを巡らせる事ではなく、それは必ず生じるのだと覚悟を決め、備えを万全にしておく事なのではないでしょうか。
 激しい苦痛は永続しないのですし、長く続くそれには慣れが生じます。従って、そのどちらも耐え忍ぶ事ができるという事を、セネカは教えてくれました。そして、最も好ましくない事は、その様な、将来において生じるか否か不確定な災悪について、恐れ、不安を抱き、心が囚われた様になる事である、という事も。
 
 それでは、その様な災悪の中で、私たちを最も恐れさせ、また、不安な気持ちにさせるものは、何なのでしょうか。
 
 それは、死に違いないでしょう。
 
 古より、人類は死を恐れて来たのですし、それは、現代においても同様なのです。いや、むしろ、物質に偏重した社会に生き、に囚われた現代人にこそ、その様な傾向が強いのではないでしょうか。
 
 しかし、実の所、私たちの本質は心なのです。そして、その、心である所の私たちは、永遠に存在し続けるのです。
 
 それ故、死を恐れる必要は、少しもない、という事が云えるでしょう。
 
 食べ物も、財産も、肉体も、限りある存在なのです。私たちは、それらを、必要に依って使用しているに過ぎません。
 
 それでは、有限な存在であるそれらと、永遠に存在し続ける私たちの心は、どちらが大切なのでしょうか。それは、自明と理だという事ができるでしょう。

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このページは、Kenji Takahashiが2009年1月26日 07:00に書いたブログ記事です。

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