この頃は、迷妄に囚われる事が少なくありません。それは、この度の経済危機が、社会に否定的な想念を充満させているが故かも知れませんし、あるいは、私自身の心的な傾向に問題があるのかも知れません。
しかし、外的な状況がいかなるものであれ、私は、自らの内面について好ましい状態に調えておくべきなのだと思います。私たちの多くは、何かの災悪に直面した際、心の平静さを失います。そして、事態を益々悪化させて行くのです。しかし、また、私たちは、自らの内面を鍛え上げる事により、その様な状況下においても、心安らかであり続ける事ができるという事に気付かなければならないでしょう。否定的な傾向を有する想念を受け取った者が、それを内的に消化し、肯定的な想念を発する事ができるのと同じ様に、その様な事が可能なのですから。
私は、あなた様に、霊の世界というものは、奥深く、とても高い境涯にまで続いているのだという事を教えて頂きました。私には、窓が見えます。いわば、そう遠くない所に温かき王国があるのであり、私には、その世界に生きている人々の住む、家の窓が見えるのです。
私は、心の平静さを失った状態においては、未熟な霊に付け込まれる隙が生まれ、反対に、心安らかな状態においては、高級霊との縁が生じるという事を知っています。この様な仕組みは、私にとって、はじめは実際の伴わない知識でしたが、自らの内面に目を向ける事により、やがて、それが真実であるという事に気付かされたのでした。そして、実の所、前者の状態においては窓が閉じている一方、後者のそれにおいては、窓は開いているのです。つまり、私たちは、それに相応しい心的な環境を整えれば、好ましい影響力を有する、温かき王国の住人と交流する事ができるという事です。
それでは、私たちは、自らの内面を好ましい状態に調えるべきなのでしょうか。
私たちの本質は、心なのだと思います。その様であるが故に、自らの心境に相応しい霊、肉体を有していない彼らと影響を与え合う様になっているのです。誰が、不善の行為がはびこり、怒りや邪な想念が渦巻いている、醜悪な世界で生活する事を望むのでしょうか。しかし、自らの内面がそれに相応しいものであるならば、死後はその様な世界で生きる事になるのです。
そして、私たちは、自らの魂の不滅性に気付かなければならないでしょう。私たちは、死して滅する様な、一時的な存在ではないのです。それ故、死して後の事も考え、自らの生き方を決めて行かなければなりません。
この様な次第ですので、私たちは、自らの内面に目を向け、それを好ましい状態へと調えて行くべきだという事が云えるでしょう。
私は、あなた様に、霊の世界というものは、奥深く、とても高い境涯にまで続いているのだという事を教えて頂きました。私には、窓が見えます。いわば、そう遠くない所に温かき王国があるのであり、私には、その世界に生きている人々の住む、家の窓が見えるのです。
私は、心の平静さを失った状態においては、未熟な霊に付け込まれる隙が生まれ、反対に、心安らかな状態においては、高級霊との縁が生じるという事を知っています。この様な仕組みは、私にとって、はじめは実際の伴わない知識でしたが、自らの内面に目を向ける事により、やがて、それが真実であるという事に気付かされたのでした。そして、実の所、前者の状態においては窓が閉じている一方、後者のそれにおいては、窓は開いているのです。つまり、私たちは、それに相応しい心的な環境を整えれば、好ましい影響力を有する、温かき王国の住人と交流する事ができるという事です。
それでは、私たちは、自らの内面を好ましい状態に調えるべきなのでしょうか。
私たちの本質は、心なのだと思います。その様であるが故に、自らの心境に相応しい霊、肉体を有していない彼らと影響を与え合う様になっているのです。誰が、不善の行為がはびこり、怒りや邪な想念が渦巻いている、醜悪な世界で生活する事を望むのでしょうか。しかし、自らの内面がそれに相応しいものであるならば、死後はその様な世界で生きる事になるのです。
そして、私たちは、自らの魂の不滅性に気付かなければならないでしょう。私たちは、死して滅する様な、一時的な存在ではないのです。それ故、死して後の事も考え、自らの生き方を決めて行かなければなりません。
この様な次第ですので、私たちは、自らの内面に目を向け、それを好ましい状態へと調えて行くべきだという事が云えるでしょう。

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