地球
この頃、ラブロック博士の著書を読む機会がありました。私には、地球が生きているという説は、自然に受けいれる事のできるものである様に感じられます。現代的な価値観に侵されていない、自然に通じた者、あるいは、幼い子供の様である程、その様である事でしょう。
この頃、ラブロック博士の著書を読む機会がありました。私には、地球が生きているという説は、自然に受けいれる事のできるものである様に感じられます。現代的な価値観に侵されていない、自然に通じた者、あるいは、幼い子供の様である程、その様である事でしょう。
私たち人間は、怪我をする事があります。その様な事があった際、例えば、切り傷を負った場合、はじめは出血しますが、やがて、血は止まり、数日後には、瘡蓋になります。そして、しばらく経つと、皮膚は元通りになっているのです。
この様な事は、人体における不思議な自然治癒メカニズムにより為されている事ですが、実は、地球上においても同様の事が行われていたのです。つまり、人体を構成する血や肉や骨が、地球における海水や土や岩の様な存在に相当するのであり、また、人体が細胞・菌類により均衡している様に、地球は、海中のプランクトン、熱帯植物、大型動物の様な、全ての生物、更には、全ての無生物によって均衡しているのです。そして、その様であるが故に、悠久の太古より現代に至る迄、生命の存在する事のできる環境が維持され続けているのではないでしょうか。
それでは、宇宙はどうなのでしょうか。
私の体内においては、赤血球や白血球、あるいは、菌類が活動し、同じ様に、地球上においては、人間という黴菌や他の生物が、人体における微生物の様に活動しています。それに対して、宇宙には、いかなる仕組みが存在するのでしょうか。
宇宙も、地球や微生物、人間の様に、生きて活動しているのでしょうか。それとも、また別の形で存在しているのでしょうか。
古の人々が、空を見る事に時を費やしたのは、道理にあった事だったのではないでしょうか。
半世紀前
私たちは、半世紀前に決断をすべきだったのだと思います。それは、人口とエネルギーについてです。
人口について。現在、世界の人口は、およそ68億人であり、今後、2050年頃迄に、90億人弱に増えると予測されています。
人口の多寡と自然環境にかかる負荷には、相関関係があります。つまり、人間の数が多くなると、その様な状態の床が軋む様に、自然環境にとってその負担となるのです。現代においては、取り分け途上国において、人口が爆発的に増加しており、また、新しく豊かになった者たちが自動車に乗り始め、深刻な、食糧不足と環境汚染の問題を引き起こしています。
エネルギーについて。人類は、長い間、燃料として薪や木炭を使用して来ましたが、産業革命以降、石炭の需要が増大して主なエネルギー源となりました。そして、その地位は、60年頃に石油に移って現在に至りますが、発電においては、この頃から原子力発電が実用化され、それに占める割合を徐々に上げて来たという経緯があります。
現代社会における機能の多くは化石燃料に依存していますが、これらの化石燃料は、空気中に温室効果ガスや煤煙を撒き散らすという性質を有しているのであり、その様なものへ依存し続けて来た現在、環境面における深刻な問題が表面化しています。
具体的には、温暖化が進行しているのであり、北極が消滅する可能性が高い上に、グリーンランドや南極に解氷の兆しが現れ始めているます。そして、大気は汚染され、その為に酸性雨が降り、森の木々は枯れ、湖や海が酸性化する事により、生物が住めなくなり始めています。
この様な問題について、半世紀前に対策を講じていたならば、現在におけるそれに対するのと比し、余程簡単に問題を解決できたであろう事を推測する事ができます。すなわち、産児制限を徹底させて人口を抑制し、完全に原発に依存した社会を実現する事ができていたならば、現代において私たちが抱えている深刻な問題は生じなかったのではないでしょうか。
なぜならば、マルサスが著書において説いた通り、人口が幾何級数的に増加するのに対して食糧は算術級数的にしか増えないのであり、それ故、人口爆発を放置すれば貧困・食糧不足の問題が表面化する事は不可避であったからです。
セント・ジェルジ博士は、人口を35億人程度に抑制する事を主張されていましたが、事実、数が多くなり過ぎた人類は、地球という生命システムの中で、黴菌の様な役回りを演じ始めて久しいのです。
もっとも、人工的な産児制限に対しては好ましい印象を抱かない向きが少なくないのでしょうが、苦しみという面で判断した場合においては、産児制限を行った場合と現代社会の状態、つまり、人口過多が主因となり混迷を深めている現状、を比した場合、余程、後者におけるそれの方が深刻なのではないでしょうか。
次に、エネルギーについては、半世紀前に、その依存について原発へ一本化する事を決断していたならば、現代における自然環境が全く異なる状態であったであろう事は、想像に難くありません。
原発については、大きな事故が二度生じましたが、ラブロック博士は、化石燃料に依存し続けるリスクよりも、原発におけるそれの方が、はるかに少ないと指摘されています。実の所、前者は、避け難い災悪を私たちにもたらしつつある一方で、後者は、そのノウハウが蓄積されるのと反比例する様に、そのリスクを低下させる事が可能であった様に見えるのです。
文明について
古の文明においては、神と共にあったのであり、それ故、選択において誤る事はありませんでしたが、また、環境に抗するだけの力もありませんでした。
現代文明においては、環境に抗するだけの力が有されていますが、神の御許を離れた為、選択において誤りが生じています。
それは、皮肉な事です。それでは、文明が持続して行く為には、いかなる要素が必要なのでしょうか。
前者は、自然環境の厳しい変化が滅亡の原因となったのですから、その様な変化に対応する為の技術の獲得が、持続的な文明を築く為の条件であるという事が云えるでしょう。なぜならば、その様な技術を獲得しない限り、前者の様な文明の存続は、安定した自然環境、つまり、その機嫌に委ねられているからです。
一方、後者においては、社会の自滅的な傾向が滅亡の原因となっているのですから、神の御許へ戻り、好ましくない傾向を改める必要がある、という事が云えるでしょう。
例えば、人口爆発や温暖化・環境破壊の問題は、現代文明の自滅的な傾向が表面化したものです。前者は、食糧不足や貧困、エネルギーの問題とつながって行くのですし、後者は、私たちの将来に、避け難い災厄を約束している様に見えます。
現代がこの様である原因は、一つには、対応が遅い為です。問題が表面化する前、つまり、半世紀位前に、産児制限とエネルギーの原発化を徹底させていれば、現代における様相は全く異なったものとなっていた事でしょう。
それでは、現代人は、どうしてこの様な適切な対応をする事ができなかったのでしょうか。
それは、神の御許を離れ、唯物論的・利己的な考え方に傾いて行ったからである様に見えます。つまり、本来、人間は自然に育まれて来た存在なのであり、神に対して崇敬の念を抱くのが自然であるのに、心的に堕落し、現代においては、まるで、自らが地球や宇宙の支配者であるが如く振舞っているのであり、その様な状況下において、正しい選択をする事などできなくなっているのです。それどころか、私たちは、種として犯した罪の精算を迫られてさえいます。
それでは、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。
私たち一人一人が、神の御許に戻り、考え方や行動を改めて行く事が必要です。私たちは、自然に育まれて来たのだという事に、神に導かれて来たのだという事に、気付かなければならないでしょう。
そして、その為に、偉大な先人たちの言葉に耳を傾けるべきなのではないでしょうか。あなた様の様な、偉大な先人たちの言葉にです。
追記
原発という選択は、現代文明を維持する為の最善のそれであったのであり、地球という生命体にとっては、現代人も原発も、余計物であると云わざるを得ないでしょう。地球が、原発に対して怒っていないと信じる事ができるでしょうか。その危険性を知っているのに、です。
この様な事は、人体における不思議な自然治癒メカニズムにより為されている事ですが、実は、地球上においても同様の事が行われていたのです。つまり、人体を構成する血や肉や骨が、地球における海水や土や岩の様な存在に相当するのであり、また、人体が細胞・菌類により均衡している様に、地球は、海中のプランクトン、熱帯植物、大型動物の様な、全ての生物、更には、全ての無生物によって均衡しているのです。そして、その様であるが故に、悠久の太古より現代に至る迄、生命の存在する事のできる環境が維持され続けているのではないでしょうか。
それでは、宇宙はどうなのでしょうか。
私の体内においては、赤血球や白血球、あるいは、菌類が活動し、同じ様に、地球上においては、人間という黴菌や他の生物が、人体における微生物の様に活動しています。それに対して、宇宙には、いかなる仕組みが存在するのでしょうか。
宇宙も、地球や微生物、人間の様に、生きて活動しているのでしょうか。それとも、また別の形で存在しているのでしょうか。
古の人々が、空を見る事に時を費やしたのは、道理にあった事だったのではないでしょうか。
半世紀前
私たちは、半世紀前に決断をすべきだったのだと思います。それは、人口とエネルギーについてです。
人口について。現在、世界の人口は、およそ68億人であり、今後、2050年頃迄に、90億人弱に増えると予測されています。
人口の多寡と自然環境にかかる負荷には、相関関係があります。つまり、人間の数が多くなると、その様な状態の床が軋む様に、自然環境にとってその負担となるのです。現代においては、取り分け途上国において、人口が爆発的に増加しており、また、新しく豊かになった者たちが自動車に乗り始め、深刻な、食糧不足と環境汚染の問題を引き起こしています。
エネルギーについて。人類は、長い間、燃料として薪や木炭を使用して来ましたが、産業革命以降、石炭の需要が増大して主なエネルギー源となりました。そして、その地位は、60年頃に石油に移って現在に至りますが、発電においては、この頃から原子力発電が実用化され、それに占める割合を徐々に上げて来たという経緯があります。
現代社会における機能の多くは化石燃料に依存していますが、これらの化石燃料は、空気中に温室効果ガスや煤煙を撒き散らすという性質を有しているのであり、その様なものへ依存し続けて来た現在、環境面における深刻な問題が表面化しています。
具体的には、温暖化が進行しているのであり、北極が消滅する可能性が高い上に、グリーンランドや南極に解氷の兆しが現れ始めているます。そして、大気は汚染され、その為に酸性雨が降り、森の木々は枯れ、湖や海が酸性化する事により、生物が住めなくなり始めています。
この様な問題について、半世紀前に対策を講じていたならば、現在におけるそれに対するのと比し、余程簡単に問題を解決できたであろう事を推測する事ができます。すなわち、産児制限を徹底させて人口を抑制し、完全に原発に依存した社会を実現する事ができていたならば、現代において私たちが抱えている深刻な問題は生じなかったのではないでしょうか。
なぜならば、マルサスが著書において説いた通り、人口が幾何級数的に増加するのに対して食糧は算術級数的にしか増えないのであり、それ故、人口爆発を放置すれば貧困・食糧不足の問題が表面化する事は不可避であったからです。
セント・ジェルジ博士は、人口を35億人程度に抑制する事を主張されていましたが、事実、数が多くなり過ぎた人類は、地球という生命システムの中で、黴菌の様な役回りを演じ始めて久しいのです。
もっとも、人工的な産児制限に対しては好ましい印象を抱かない向きが少なくないのでしょうが、苦しみという面で判断した場合においては、産児制限を行った場合と現代社会の状態、つまり、人口過多が主因となり混迷を深めている現状、を比した場合、余程、後者におけるそれの方が深刻なのではないでしょうか。
次に、エネルギーについては、半世紀前に、その依存について原発へ一本化する事を決断していたならば、現代における自然環境が全く異なる状態であったであろう事は、想像に難くありません。
原発については、大きな事故が二度生じましたが、ラブロック博士は、化石燃料に依存し続けるリスクよりも、原発におけるそれの方が、はるかに少ないと指摘されています。実の所、前者は、避け難い災悪を私たちにもたらしつつある一方で、後者は、そのノウハウが蓄積されるのと反比例する様に、そのリスクを低下させる事が可能であった様に見えるのです。
文明について
古の文明においては、神と共にあったのであり、それ故、選択において誤る事はありませんでしたが、また、環境に抗するだけの力もありませんでした。
現代文明においては、環境に抗するだけの力が有されていますが、神の御許を離れた為、選択において誤りが生じています。
それは、皮肉な事です。それでは、文明が持続して行く為には、いかなる要素が必要なのでしょうか。
前者は、自然環境の厳しい変化が滅亡の原因となったのですから、その様な変化に対応する為の技術の獲得が、持続的な文明を築く為の条件であるという事が云えるでしょう。なぜならば、その様な技術を獲得しない限り、前者の様な文明の存続は、安定した自然環境、つまり、その機嫌に委ねられているからです。
一方、後者においては、社会の自滅的な傾向が滅亡の原因となっているのですから、神の御許へ戻り、好ましくない傾向を改める必要がある、という事が云えるでしょう。
例えば、人口爆発や温暖化・環境破壊の問題は、現代文明の自滅的な傾向が表面化したものです。前者は、食糧不足や貧困、エネルギーの問題とつながって行くのですし、後者は、私たちの将来に、避け難い災厄を約束している様に見えます。
現代がこの様である原因は、一つには、対応が遅い為です。問題が表面化する前、つまり、半世紀位前に、産児制限とエネルギーの原発化を徹底させていれば、現代における様相は全く異なったものとなっていた事でしょう。
それでは、現代人は、どうしてこの様な適切な対応をする事ができなかったのでしょうか。
それは、神の御許を離れ、唯物論的・利己的な考え方に傾いて行ったからである様に見えます。つまり、本来、人間は自然に育まれて来た存在なのであり、神に対して崇敬の念を抱くのが自然であるのに、心的に堕落し、現代においては、まるで、自らが地球や宇宙の支配者であるが如く振舞っているのであり、その様な状況下において、正しい選択をする事などできなくなっているのです。それどころか、私たちは、種として犯した罪の精算を迫られてさえいます。
それでは、私たちは、どうしたらよいのでしょうか。
私たち一人一人が、神の御許に戻り、考え方や行動を改めて行く事が必要です。私たちは、自然に育まれて来たのだという事に、神に導かれて来たのだという事に、気付かなければならないでしょう。
そして、その為に、偉大な先人たちの言葉に耳を傾けるべきなのではないでしょうか。あなた様の様な、偉大な先人たちの言葉にです。
追記
原発という選択は、現代文明を維持する為の最善のそれであったのであり、地球という生命体にとっては、現代人も原発も、余計物であると云わざるを得ないでしょう。地球が、原発に対して怒っていないと信じる事ができるでしょうか。その危険性を知っているのに、です。

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