この頃は、人心が乱れている様に感じるのは、恐らくは気のせいではないのでしょう。私には、景気が悪くなり、そして、少なくない人々が、将来についての希望を抱けない様な状況に陥っている為に、その様になっているのだと感じられます。
この様な事が、これから、社会における不安定化につながっていくと考える事は、荒唐無稽なそれではないでしょう。しかし、実の所、彼らは何を心配しているのでしょうか。
彼らは、将来において現実化する可能性のある、自らの有り様を想像し、その事を心配しているのではないでしょうか。ところが、それは、今の時点においては、現実化するのか否か、明らかでないものなのです。つまり、彼らは、幾つかの要素に依り、貧しくなったり、飢えた状態となる、将来における、自らのその様な姿を想像し、その事に心囚われ、そして、苦しんでいるのですが、実際には、その様な有り様というものは、実態のない存在と格闘している様なものなのです。
それでは、彼らが好ましい状態に移行する為には、いかなる要素が必要なのでしょうか。
一つには、不安の念に囚われて右往左往するのではなく、起こり得る問題に対する、実際的な備えをしておくべきでしょう。それは、例えば、一定の期間、生活をする為の食べ物を蓄えておく、という様にです。備えあれば憂いなしと云いますが、その通りなのであり、その様にした上で、今、この瞬間、その時々の問題と、真剣に向き合って行けばよいのです。将来において生じるかどうか確かでない災悪を心配するな、今を真剣に生きろと、道元禅師は、その様に説かれています。
二つ目には、飢えたり、貧しい生活をする様になる事が気がかりなのならば、実際にその様な生活を体験してみたらよいでしょう。それは、例えば、週末の一日を、その様にして過ごしてみるという具合にです。そうすれば、自らの不安の源となっていたものは、実際は、この様なものであったのかとわかるでしょう。すなわち、それを実践したならば、私たちは、実体のない、自身の想像力の産物に苦しめられていたのだ、という事に気付かざるを得なくなるという事です。そして、その様な、必要最小限に絞った生活体験というものは、実際に災悪が訪れた際にも、役立つものであるという事が云えるでしょう。
三つ目には、仮に、現在において、物に偏った考え方をしているならば、それを改めるべきでしょう。なぜならば、一つには、その様な価値観は利己的な傾向と深い関係を有するのであり、その一方、心を重視する考え方は、愛他的な傾向と深い関係を有しているからです。そして、二つ目には、取り分け、これからの社会においては、物的な問題により、前者の様な考え方に囚われていたならば、希望を見出す事が難しくなって行く事が考えられるからです。
私たちは、現在の様な状況をよい機会であると捉え、自らがこの世界において生を受けた、その意味について考えるべきでしょう。そして、自身の内面に目を向け、その有り様を知り、心の豊かさの大切さに気付くべきなのです。なぜならば、物的な富への底知れぬ欲望が、私たちを不幸にし、現在においてもその様である一方、心的な富は、私たちを幸福にするものであるからです。
真に心の豊かな人間は、何も心配する必要がないでしょう。
彼らは、将来において現実化する可能性のある、自らの有り様を想像し、その事を心配しているのではないでしょうか。ところが、それは、今の時点においては、現実化するのか否か、明らかでないものなのです。つまり、彼らは、幾つかの要素に依り、貧しくなったり、飢えた状態となる、将来における、自らのその様な姿を想像し、その事に心囚われ、そして、苦しんでいるのですが、実際には、その様な有り様というものは、実態のない存在と格闘している様なものなのです。
それでは、彼らが好ましい状態に移行する為には、いかなる要素が必要なのでしょうか。
一つには、不安の念に囚われて右往左往するのではなく、起こり得る問題に対する、実際的な備えをしておくべきでしょう。それは、例えば、一定の期間、生活をする為の食べ物を蓄えておく、という様にです。備えあれば憂いなしと云いますが、その通りなのであり、その様にした上で、今、この瞬間、その時々の問題と、真剣に向き合って行けばよいのです。将来において生じるかどうか確かでない災悪を心配するな、今を真剣に生きろと、道元禅師は、その様に説かれています。
二つ目には、飢えたり、貧しい生活をする様になる事が気がかりなのならば、実際にその様な生活を体験してみたらよいでしょう。それは、例えば、週末の一日を、その様にして過ごしてみるという具合にです。そうすれば、自らの不安の源となっていたものは、実際は、この様なものであったのかとわかるでしょう。すなわち、それを実践したならば、私たちは、実体のない、自身の想像力の産物に苦しめられていたのだ、という事に気付かざるを得なくなるという事です。そして、その様な、必要最小限に絞った生活体験というものは、実際に災悪が訪れた際にも、役立つものであるという事が云えるでしょう。
三つ目には、仮に、現在において、物に偏った考え方をしているならば、それを改めるべきでしょう。なぜならば、一つには、その様な価値観は利己的な傾向と深い関係を有するのであり、その一方、心を重視する考え方は、愛他的な傾向と深い関係を有しているからです。そして、二つ目には、取り分け、これからの社会においては、物的な問題により、前者の様な考え方に囚われていたならば、希望を見出す事が難しくなって行く事が考えられるからです。
私たちは、現在の様な状況をよい機会であると捉え、自らがこの世界において生を受けた、その意味について考えるべきでしょう。そして、自身の内面に目を向け、その有り様を知り、心の豊かさの大切さに気付くべきなのです。なぜならば、物的な富への底知れぬ欲望が、私たちを不幸にし、現在においてもその様である一方、心的な富は、私たちを幸福にするものであるからです。
真に心の豊かな人間は、何も心配する必要がないでしょう。

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